御縁に感謝 ありがとう… 個の「私」ではなくて、関係の総和が「私」
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今まで生きて来られたことに
しみじみ感謝がわいてくる今日この頃…
幼少時代からこれまでを
振り返ってみれば
重大な悩みは
人間関係によるものがほとんどで
激しい憤りや憎悪
深い悲しみやさみしさでさえも
すべてが今につながるために必要な
かけがえのない出来事でした。
「わたし」とは
独立した個人
というだけでなく
御縁でつながりあった存在なのだ…
とかんじています。
河合隼雄氏の対談から
「私」とは「関係の総和」
というお話を引用いたします。
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「私」とは「関係の総和」
僕がすごいと思うのは、仏教の『華厳経(けごんきょう)』の考え方は、関係性が優先していますね。感激しますね。個があるけれども、個があっての関係というのじゃなくて、関係そのものが優先しているんですよ。だから「私」というのはないんです、『華厳経』でいうと。個の「私」ではなくて、関係の総和が「私」なんだと。
一人ひとり違いは出てくるんだけど、その違いというのは、その関係のあり方で出ると。だからいつも、関係を優先して考える考え方があるわけですね。これ、ものすごく好きなんですけれどね。
(中略)
だから日本の文化というのは、やっぱり相当、関係性のほうを大事にするおもしろい文化をつくったと思う。あちらは、個を大事にする。
個を大事にするほうが言語化が可能だし、説明可能だから、どうしても力が強くなるんですね。それとやっぱり、道具をつくりやすい。そやから、どうしても人間に対してもオペレート(働きかけ)したり、マニピュレート(操作)したりする。ここは大事なところですね。
僕は、オペレートとかマニピュレートを放棄するというところに、僕の心理療法の根本があるんじゃないかと、こう思っているんです。それも、ほかの人よりも徹底的に放棄できるようになったから(笑)、よく治るんじゃないかと思ってるんですよ。
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「相手を操作しよう」
という想いがあれば
相手側には「操作されたくない」
という反発が生まれ
操作できないだけでなく
お互いの関係が
悪くなってしまうでしょう。
だったら
相手のなかにある力を信頼し
「操作しよう」という想いを
放棄してみる。
そして
自分のエゴを主張せずに
信頼関係を築くことを優先していれば
相手もエゴを主張しなくても
済むようになり
お互いが
本来の人間らしさを取り戻せるでしょう。
ღ .:*・゚ ・*:. ஐ .:*・゚・*:.ღ .:*・゚ ・*:. ஐ
華厳経の中に
「一即多、多即一」
(いっしょくた、た・すなわちいち)
という言葉があります。
世界中には
わたしがいて
家族がいて
友人がいて
他人がいて
たくさんの人たちがいて
それぞれが
一人ひとり生きています。
このように
あたかも
一人ひとりが
別々に存在しているかのように
見えるけれども
よくよく観てみれば
相手との縁(関係性)によって
生かされているし
お互いが影響しあうことで
お互いの個性が生まれてゆきます。
ღ .:*・゚ ・*:. ஐ .:*・゚・*:.ღ .:*・゚ ・*:. ஐ
「一即多」とは
ひとりのなかに全体があるということ。
つまり
個よりも関係性のほうを大事にする
というのは
一人ひとりを尊重しない
というわけではなく
たったひとりが
たくさんの存在に影響をあたえていて
一人ひとりが唯一無二の
かけがえのない存在だということ。
だから
無闇矢鱈に個を主張しなくても
すべての存在がもうすでに
認められているということ。
ほんとうは
いつだって
だいじょうぶだということ。
こわがってエゴを強くするのは
一休み ひとやすみ・・・
あなたが
ただ ここちよく
しあわせでいることは
みんなをここちよく
しあわせにしているんだよ・・・
あなたという
ひとりのなかには
宇宙全体の無限の愛が
いつだって満ち充ちているからね・・・
ありがとうございます
御縁に感謝
ありがとう
.。. :*.。. : ☆.* .。. : *
あなたの今日が
愛でみたされますよう☆.。:*
.。. :* ・☆.。. :* .。 . :*
御覧くださり
ありがとうございます
♡ 感謝 ♡
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