思い通りにならぬことこそが 己を磨くためにあたえられし 大いなる愛



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自分の思い通りにならなくて辛いとき

八方塞がりに感じているとき

そう感じている心を俯瞰してみたら…


目の前の現実を受け止め

受け入れて

あらたな氣持ちで

生きられるかもしれません。



境野勝悟氏のご著書より

我意我見についてのご文章を下記に引用いたします。




知発(ちはつ)にあらず

菩提心発ぼだいしんほつなり


 「知発(ちはつ)にあらず」とは、世間の常識というものに根ざした自分の考えを、いくらしっかり持って、いかに大事に思ってみても、そんな自分持ちのちっぽけな考えで、世の中を思うようには生きていけない、ということだ。それどころか、みんなが個人持ちの考えを、がっちり持って、それを大声で主張すればするほど、世の中は、ますます混乱状態に陥って住みにくくなるのだ。みんなが孤立し、けっして、喜べる生活はできない。(中略)

 

 国民一人一人が、自分の考えを大事に思って、それを何よりも正しいと信じて、声高らかに主張し合って、我意我見をぶっつけあって、文句ばかりいい合って、不満ばかり押し付け合って、それでも「自分は幸せだ」と明るく笑っていられるのか。


 「菩提心発(ぼだいしんほつ)なり」とは、世間の善悪の判断のわくを超越した、宇宙から生まれてくる純粋なあたたかい心の言葉だ。「俺が俺が」ではなく「どうぞ、あなた様から」、「俺がよければいい」ではなく「みんなでみんなのために仲よくやろう」ということだ。




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「自分の意見だけが正しい」

と思い込んでしまうと


自分の思い通りにならないことは

「悪」だと感じてしまいます。



自分の思い通りにならないことが

「苦」だと感じてしまうと


相手の意見に耳を傾けることも

困難になってきます。




これは

「自分(自分たち)がたいせつ」

という自我の働きによるもので


「自分(自分たち)だけがたいせつ」

という自己中心的なエゴが

強くなり過ぎなければ


みんなが「自分がたいせつ」なのだから

「自分も、相手もたいせつ」

に自ずとなります。




「みんなでみんなのために仲よくやろう」

というのは幼稚園や小学校の頃から

教わって来たことなのですが……


悲しいことに

大人たちにとっても

とても難しいことなのです。

(わたしも含めて)




自分の考えに固執して

自分の正しさを主張すれば

正義を振りかざして

戦い続けなければならなくなります。




人間ひとり一人の真我・たましいは

宇宙の愛・智慧と一体であり

「元々」いつも純粋な愛なのですから


自分の考えに固執するエゴがなければ

自分にも相手にも

無条件の愛を持つことができます。






思い通りにならぬことこそが


己を磨くためにあたえられし

大いなる愛




人間は

「エゴの思い通りにならない」

という

壁にぶち当たり


苦しむからこそ


純粋な愛と智慧を

学ぶことができる




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今日も 

大いなる愛のなかに生かされていることを

かんじてみよう


風をかんじてみよう


大自然の息吹をかんじてみよう



すべての存在が

瞬間瞬間に

愛に満たされていることに

感謝の念があふれます



ありがとうございます


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一人ひとりが体験する現実は

一人ひとりの心が映し出されたものです


ですから


自分の心が愛に満たされて平和であれば

自分の目の前の現実も 

愛に満たされた平和なものになります




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 あなたの今日が

 愛でみたされますよう☆.。:*

.。. :* ・☆.。. :* .。 . :*



御覧くださり

ありがとうございます


♡ 感謝 ♡



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