「必要以上に欲ばる心」から解放されて 愛と喜びの一日を生きよう
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もしも、わたしたちの心の中に「必要以上に欲ばる心」があると、自分にとっても、他人にとっても不都合が起こってしまいます。
「必要以上に欲ばる心」(むさぼり)というのは、人間の六つの根本煩悩の一つといわれています。
根本煩悩に支配された心というのは、病氣にかかった心のようなものです。
もし、根本治療しないままだと、実際に自分の身体に病氣が現れたり、困ったことが現実にあらわれてきます。
人間社会の中でのありとあらゆる問題は、根本煩悩に支配された心の病氣が世界に反映された症状だと言えるでしょう。
なかでも戦争は、人間の心の病氣の慢性化と悪化の最も酷い症状のあらわれなのでしょう。
病氣の症状(たとえば肉体的な病氣やお金のトラブルや戦争など)だけを消そうとして我武者羅に戦っても、単純には消えなかったり、かえってこじらして悪化したり、はたまた別の症状まで出てきてしまうことさえあります。
ですから、対処療法で済まそうとせずに、病氣にかかった心自体を根本治療することが先決なのです。
煩悩が心の病氣の原因になっているのですが、では一体なぜわたしたちの心が煩悩をかかえてしまうのか? というところまで掘り下げて自分自身の心と向き合う必要があるはずです。
人間に「必要以上に欲ばる心」が生まれる背景には、何があるのでしょう?
人間は自分のことを優れていて魅力的だと思ったかと思うと、今度は、欠落のあってどうしようもなくみじめで駄目なやつだと考えたり、過大評価や過小評価の乱高下を繰り返す思考に振り回されて、有頂天になったり、落ち込んだりして右往左往しています。
けれども、本来わたしたちは一人一人がこの宇宙で唯一無二の存在であり、それぞれがユニークな個性を持っていますから、他者と比較して自己卑下したり、傲慢になったりする必要はないのです。
こんなふうに自分を評価し続けてしまうのは、「自分も他者も本質的にはどんな評価も関係ない完全な魂」ということを見失っているからなのでしょう。
※ この状態は、無条件の愛を見失っている親子関係によってAC(アダルトチルドレン)になっている人々の特徴でもあります。
自分をまるごとあるがままに認めて、愛おしむことができたなら、自分と他者に消えることのない尊厳を認めることができます。
すると、おのずと自分の内面から自信があふれてくるので、他人の評価に振り回されなくなります。
「必要以上に欲ばる心」は、しぜんと消えてゆくでしょう。
わたしたちは皆、大きく膨れ上がった貪る心の奴隷になり続ける必要などないのです。
渇望の苦しみから解放されて、本来の自由で平和な心を取り戻しましょう。
常に愛に満たされた完全な魂であるわたしたちは、無邪氣に喜びを感じながら今を生きてゆける自由な存在なのです。
岡野守也さんのご著書から、六つの根本煩悩の① むさぼり(貪)についてのご文章を下記に引用いたします。
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人間は生きている以上欲はありますし、それはいいことでも悪いことでもなく、自然なことです。食欲がなくなると元気がなくなる、とことんなくなって何も食べられなければ死んでしまう。(中略)ですから、生き生きとしっかりと生きるためには、かならず意欲が必要なんです。
でも、おなじ「欲」といっても、自然でほどほどの<欲求>と、いきすぎた際限ない<欲望>はちがうんですね。(中略)
ところが、私たちはいろいろな面で、ちょいちょい、しばしば、しょっちゅう……必要以上に欲ばってしまいます。そして、なにがなんでもなにをしても、だましたり、ごまかしたり、力のある人にはへつらったり、他人を傷つけたり、他の国を侵略したり、他のさまざまないのちを滅ぼしたり、いろいろやってしまう。そして、それが得られるとひとのつごうは関係なくルンルンしたり、いばったり、得られないと落ち込むとか、恨むとか、嫉むとか、腹を立て「あいつ、ぶんなぐってやる」と思うとか……という気を起こします。
出典
一人ひとりが体験する現実は
一人ひとりの心が映し出されたものです
ですから
一人ひとりの心が
愛に満たされて平和であれば
一人ひとりの目の前の現実も
愛に満たされた平和なものになります
二度と生きることのできない
今日という一日を
どう生きるのかは
いつも自分次第……
一日一生
Live this day as if it were your last !
.。. :*.。. : ☆.* .。. : *
あなたの今日が
愛でみたされますよう☆.。:*
.。. :* ・☆.。. :* .。 . :*
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