自分が楽しむことに 罪悪感は いらない…と氣づけた体験



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今回は、「あなたばっかり、ずるいっ!」と他人を悪者にしている自分のおかしさに氣づき、ネガティブな思考パターンからだいぶ解放されてきた体験について書いています。



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高校生のとき、「ずるいよ」なんて言う場面ではなかったのに、友達に向かって、「ずるいよ」とつい口走ってしまいました。


それで、氣まずくなったことが何度かあり、「ずるい」が口癖になっている自分のおかしさに氣づきました。


今になって思えば、子どものときから「わたしは、周りの人たちよりも不幸だ」と思い込んでいたので、「みんなばっかり得していて、しあわせで、ずるい」というネガティブ思考が、心のなかにいつも渦巻いていたんだと思います。




「ずるい」という思いは、「自分自身の問題を相手に責任転嫁していて、ちっとも建設的でない、すごくネガティブな思考パターンだ」ということに7年前位に、ようやく氣づきはじめました。


心理学や仏教やスピリチュアルを学びながら、自分の内面と向き合っていくうちに、「もう、マイナスでしかない思考はやめよう」と思うようになりました。


それ以来「あなたばっかり、ずるいよ~」という思いが無意識に湧きあがってしまったときには、「どうして、今そう思ったんだろう?」と自問自答しながら思考を観察してきました。



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たとえば、「自分はこんなに大変なのに、あなたばっかり楽しんでいて、ずるい」という思いが相手に対して湧いてきたことがありました。


そういうときに自分の思考を観察していて、無意識にネガティブ思考が湧いてくる原因に氣づけました。




「ずるいとか、ひがむくらいなら、自分だって今の環境のなかで楽しめばいいんじゃない?」


「そもそも、楽しいって感じられるかどうかは、自分の心のあり方しだいなんだから……」


「誰かが楽しんでいるかどうかで、自分の楽しい時空間が消えてしまうわけではないんだから……」


「ということは……『今ここの時空間をつまらない』と思っている自分の心が、もともとの問題だったんだ」


「じゃあ、どうして『つまらない』って思っていたんだろう?」


「うれしいことも、楽しいことも、しあわせなことも、ほんとうは、今ここに充ち溢れていたのに、感じられなかったのは、いったいどうして?」


「あぁ、そうか! しあわせを感じてしまうと罪悪感が湧いてくるから、無意識に、しあわせを感じないようにしていたんだな……」




そうなんです。


「わたしだけが今しあわせでは、がんばっているパートナーや親たちに悪い」という罪悪感があったんです。



じゃあ、大変な思いをしている人はしあわせじゃないってこと?


そんなことはない。


他人のことをしあわせかどうかを決めるのは、傲慢で勝手な妄想でしかない……。


それがたとえ親子や家族であっても。そこは人間の尊厳のところだから。




共依存の機能不全家庭で育ったアダルトチルドレンだった自分には、尊厳の境界線が全くわからなかったんです。


今でも、母や子どもに対して、境界線を越えて入り込んでしまうことがあり、色々と失敗しています。



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夫に対して罪悪感を感じていることを夫に話すと、「みんながそれぞれの時空間で、それぞれの今ここを生きている」という話をしてくれました。


今ここの時空間をしっかり生きよう」と意識してから、「自分が楽しんでいることに罪悪感は必要ない」ってことが、だんだん腑に落ちていきました。




相手に対して、勝手に罪悪感を感じている間は、今ここに集中できずに、クリエイティブな時間の使い方ができない状態です。


だから、罪悪感を感じている相手に対しても、かえって失礼なことなんだろうなぁ…と思うのです。




みんなが

それぞれの時空間で

それぞれの今ここを

生きている


だから

自分が楽しむことに

罪悪感はいらない




続編に続きます




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 あなたの今日が

 愛でみたされますよう☆.。:*

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